弟弐の一周忌も終わった。
弟弐が死んで、1年が過ぎたのだ。
この1年、なにかとあっちゃあ
(特に、過去の日記を読み返したりするときとか)
去年の今日は、弟弐は・・・って思い返してばかりで。
なんと言っても、前日が辛かったな。

(去年の、今頃の時間までは、生きていたのに)

それしか考えられなくて。
あたしも、あいつも、自分のことで手一杯で、
すべてに対してイライラのピークだった。
会話らしい会話をしたのも、いつが最後だったか・・・

新聞で、医療関係の特集記事で、
ご家族を亡くした遺族の精神的ケアをするボランティア募集
(だったかな?会社でザッと目を通したのでよく覚えてない)
している件で、病院側は

『ご家族や大切な方を亡くして1年以内の方は、お断りしてます』

と言っていた。
その理由、今は(言葉にできないけど)すごく納得できる。
1年経たないうちは、こちらが崩れ落ちてしまうのだ。
もちろん、1年経ったからハイ大丈夫、ってサッパリ切り替えられるわけでもないんだけど。

でも、1周忌を終えて、正直、ホッとした。
お通夜、火葬、告別式、そして毎週の七日(ナンカ)・・・。
まだ前の部署だったので、会社にいる間は、
仕事のことだけ考えていればいいから、気がまぎれたけど。
でも、あの毎週の七日は、辛かったわ・・・。
ハハオヤと同じ部屋に寝て・・・電気も点けっぱなしだったから。
ケンカも絶えなかったし。
2ヶ月近く、寝不足。
四十九日を迎える頃、本当ーに、疲労がピークだったなー;
そんですぐに入院(半年前に決まっていた手術だったからね)
したけど、やっと家から離れられて、ゆっくり出来たわ・・・。

退院してからも、
イロイロと(仏壇の行事ごとが)沢山あったから
いやぶっちゃけ正直・・・参ったけどね;

あの世のお正月、とか
清明祭、初盆を経て、一周忌。
そのたんびに、
女きょうだいや嫁さんの多い親戚と違って、
ハハオヤが足腰立たずで(親戚とも仲悪くなったしね)
アタシしか家事できない、っていうのは・・・。
でも、逆に、ハハオヤに文句言わせずに
あたしのペースで準備できたから、それはそれで、ね。
ま、さすがにアタシが入院したのを知ってからは、
チチオヤも、お客さんに出す料理を
準備したりしてくれたから、助かりはしたけどね。

この1年、なにかと。
疲れた。

そう考えると・・・
あの、あんなハハオヤの面倒を
一人で見させられていた弟弐は、
やっと、これで、ゆっくり眠れるんだよね・・・
とも思う・・・。

でもあれだ。
本当にあたしが『ひとり』だったら、
どーなってたかしらと思うね。
考えただけで、あたしの方も発狂して
弟弐の後を追って
死にたくなってしまいそうだ。
そう思う。

だから、彼には感謝。
一緒にいてくれたから、この1年を乗り越えてこれたと思うよ。
ありがとうね。


ケータイにFMラジオ、っていうけど。
あたしは、『見えるラジオは?』って思うのーッ
どっかの量販家電店の片隅に、
1台だけ、見えるラジオが売られていたから、
あれ欲しいなぁ。
今使ってるやつの液晶が、焼けて、
今や表示もまともに見えん(泣


一周忌も終えたし、あとは。
去年ダメ(欠席して不受験)になった、あの試験をば。
Mさんに『一緒に受験しない?』って誘われた、
別の試験の方、日程がダブってしまってるから、
断ってるしな。

この試験を終えれば、
やっとアタシは、この部屋の荷物の整理に、手をつけられる!
引っ越してまるまる1年、ほったらかしだったんだものね;

この試験を終えれば、
パンツも作れるかなー(ミシン買うのが先かも!?)
クリスマスディスプレイの準備もしなくちゃよ!?

9月になったとたん、朝のクマゼミの合唱も耳にしなくなって
(セミの体内にもカレンダーがあるんだろうか?っちゅうくらい)。
今は、あの林からは
朝には じーわっ、じーわっ、という緑の小さいセミが
昼過ぎには しゃうー しゃうー という、乾いた声が。
もう、秋のセミの歌う声しか聞こえない。
ふと振り向くと、
窓から、日差しが部屋に差し込んでいて。

あぁ、本当に、秋になったのだ。

空を切り取った窓には、雲はない。
この日記のバックカラーとおんなじ、
水色みたいな、高くつき抜ける青空が、そこにあるだけ。
こんなに暑い日ざしが差し込んでいるけれども。
日陰にいると、乾いた涼しい風が吹き込んでくる。

今一番、気持ちのいい季節。

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